さて、この反省記録もこの記事が最後となりました。2018年に執筆(?)したものを、2022年に書き直したというわけです。最後までお付き合いいただきありがとうございました〜〜!では行ってみよーう。
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担当に依存することが怖かった
Johnny’s World(2012)も終わった頃、自分の応援スタイルを考えるようになりました。どの現場でもこのまま健人くんに依存していったらどうなるんだろうという恐怖が常にありました。東方神起のチャンミンがインタビューで言ってた言葉が心の奥でトゲのように刺さっていました。
「ファンの方には 僕を絶対的な存在ではなく たまに目にする僕の活動を栄養剤のように感じてもらえたら一番嬉しい。」
私は当時の応援の仕方でいいのかなって自問自答していました。とても依存して過ごしていたので。だからどこかで担当に依存しない形にしたい。区切りをつけなければいけないとも思っていました。
オタクとしての夢を叶えてくれた健人くん。
大学の実習が全て終わった2013年の5月ごろから健人くんに会いに行くことを辞めて現場の数を減らしました。普通の人間になりたいと思っていたんですね。
それまでに健人くんは私のオタクとしての夢を全て叶えてくれました。
- デビュー前から応援すること
- 結成時のコンサートから通うこと
- ファンサをもらうこと
- 握手してもらうこと
- ハイタッチしてもらうこと
- 話しかけてもらえること
- ファンレターの返信をもらうこと
- カンペを読んでもらうこと
- 紅白に出場する姿をみること
- 座長公演を観劇すること
私は恵まれている健人担でした。健人くんがくれたものを受け取ってそのまま真っ直ぐに応援すれば良いだけだったんです。でも、それじゃ当時の私は駄目だったんですね。健人くんはファンサだけではなくてたくさんの思い出を作ってくれました。
あの時は口では「健人くんやSexy Zoneに感謝しなきゃ」っていつも言っていました。でも頭の中で本当に理解していたのかと言われれば、今は幼かったなと思います。ファンサを当たり前のように思っていましたし、。健人担としてのステータスとしか思っていなかったと思います。一般人の方から見れば馬鹿げてると思うのかもしれませんが、当時は必死に健人担をしていました。「健人担ガッツ」っていう意味のわからない意地のために必死に毎日現場に通ってました。
健人くんが好きなことよりも健人担でいる意地のほうが大きり、周りもガチで追っかけをしている人しかいなくなリマした。常に誰かが誰かを裏切り、誰かの悪口を言う。そんな空間に流れてしまったんです。そして意地だけでコンサートに通って、前が見えなくなりました。
オタクじゃない人の前では普通の学生を演じているような気分でした。毎日「自分は何やってるんだろう?」って悲しくなっていたのもこの時期です。「こんなことして楽しいのか?」とさえ本気で考えていました。いつかはこの状況を辞めなければいけない。普通の社会人にならなければいけないとも考えていました。同時に健人くんに申し訳ない思い出でいっぱいになりました。
忘れられない思い出でもある
思い出したらその当時はオタク活動で泣くときは「自分は他のファンより劣ってる」と思って悔しくて泣いていました。本当は優劣なんて無いんですよね。オタク活動以外にも辛いことがあったから健人くんに現実逃避したことも事実です。でも健人担として過ごした毎日はわたしにとってはかけがえのない日々です。依存してたと思います。でも大好きで応援したいって思っていたことに変わりはありません。今となっては痛いなあと思いつつも、大切な思い出の一つでもあります。
結局、認知されたのか
答えは本人しか分からないと思います。笑 今はもう忘れてしまっているかもしれません。私はお手紙を書く時に必ず「健人くんの”マジで”が大好きです」とずっと書いていました。(当時の健人くんの口癖です。)ウチワにもデコーレーションをして常にライブで持っていました。
君にHITOMEBOREのセリフ
ずっと言い続けてきた中、2014年に「君にHITOMEBORE」という曲が発売されました初めて健人くんがセンターを務めた曲です。その曲の曲中に「好きなんだよ、マジで」という健人くんのセリフがありました。当時、友達からも連絡が来ました。私が言い続けてたからかは分かりませんが、すごく嬉しかったです。後々に朝の情報番組で「本人が考案した」ということを知りました。私のメッセージ(?)が届いていたら嬉しいです。
結局はオタクの自己満足だと思います。自己満足以外のものはなにも残らなかった。と、私は今でも思います。何のために多ステするのか、何のために応援するのか意味を見失ってしまっていました。全て自分の健人担としてのステータスのためだけになっていました。そしてそれは全て趣味にすぎないです。でも繰り返しますが、今は健人くんを必死に応援していた日々は決して無駄じゃないと思ってます。
卒論をジャニヲタで書いた
新卒で音楽業界に入る選択肢を断ち、普通の一般企業に内定も決まったため大真面目に「何故、ジャニヲタは消費をするのか」ということを際どいところまで実体験を交えながら客観的に卒業論文として書きました。国立図書館に内蔵されないということも知っていましたので、かなりギリギリのところまで書いたかなという印象です。別記事に全て掲載していますので、お暇な方は是非、読んでみてください。
客観的に卒業論文を書くことによってLIVEそのものを楽しみたいという気持ちになることができました。健人くんを応援すること自体に関しても少し冷静に考えられるようになりました。
いよいよヲタ卒を決めた2015年
健人くん初めてのソロコンサート

久しぶりに多ステした公演でした。あのころ悩んでいた私はどこに行ったんだろう。それくらい楽しくて幸せな公演でした。まさか、この公演も実は自分のチケットで運よく最前で観ているんですけど、ファンサなんてなくてもあっても健人くんがソロコンサートをしていることだけですごく楽しかったです。オーラスで健人くんが涙を流したことは今でもよく覚えています。ずっと応援していて良かったなぁと思って私もたくさんたくさん泣きました。Jr.のバックで代役でフライングしたあの時からたくさんの幸せがあったなと思えました。
念願の座長になったJohnny’s World

その年の冬に大好きなJohnny’s Worldで健人くんと勝利くんが座長になりました。Hey!Say!JUMPが座長だった時は白い衣装で脇で踊っていた2人。この公演でらキラキラの衣装を着て真ん中でLet’s Go To Earthを踊っていました。私が探し続けていた世界はやっぱり冬の帝国劇場にありました。光り輝く大好きな世界です。私はLet’s Go To Earthを踊る、Johnny’s Worldに出演する健人くんが大好きでした。
この頃、私はメニエール病に罹っていました。この公演を観た時に私は自分でジャニヲタ生活に区切りをつけようと思いました。
自担の夢の世界を大切に
今は代替わりした新しい世界が帝劇にあると思います。滝沢くんが社長になり、ジャニーズは私が卒論を書いた時より更に早く急激に変化していくと思います。私の夢の世界、13月のユートピアは健人くんがLet’s Go To Earthを踊る世界です。
その思い出を大切なままにしようと一旦、ジャニーズから離れました。その後も懲りずに色々な人を応援してきましたが、2021年。また健人担に戻ることにしました。
2018年に私は音楽業界に転職しました。今はもう全く別のジャンルで仕事をしているので少しだけ触れますが、健人くんのお仕事に影の影の影で携わることもできました。すごく嬉しかったと同時に私は自分の勝負できる業界で独立して働くことを選びました。私の中でアイドルは夢の世界なので、現実世界で仕事にするのではなく、いつまでも偶像(アイドル)でいてほしいのです。
2018年当時に書いた記録が残っています。
応援したいと思う人と同じ時代に生きれる幸せを大切にしながら今日も推し事をします。平成が終わってもきっとジャニヲタだし、オタクです。もしオタクをしていて悩んでいることがあったら少しでも、この経験を活かして力になりたいと思っています。

中島健人くんへ
エゴサをしていると聞いていますので、何かのきっかけでもし見てくれたら。私のいちばん人生で楽しかった時代は常に健人くんがいました。好きな人より握手会を優先して振られましたけど、その好きな人は今、コンサートに行くくらいSexy Zoneが好きです。笑 絶対これは5人の魅力あってだと思います。もう忘れているかもしれませんが、たくさんお手紙を渡したことは本当に大切な思い出です。感謝してもしきれません。ありがとうございました。新しい時代もSexy旋風を巻き起こしてください。実は密かにお茶の間で応援しています。多分これからはコンサートにもまた通います。これからのご活躍も楽しみにしています!健人くんの「マジで」は何年経っても大好きです。