ジャニーズについて書いた卒論を公開してみる②

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30代のプロ野球(鴎党)オタクが楽しく資産形成しつつ美容も頑張るブログ。果たして両立できるのか…?積立NISA・日本株・投資信託・分散投資でコツコツやってます。多分ジャニオタかつ元音楽業界の人。

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今回はジャニーズについて書いた卒論の第二章を公開したいと思います!

前回の第1章はこちらです↓

ジャニーズビジネスとジャニヲタの関係性

2013年11月 執筆。

原文のそのままの掲載です。(誤字脱字があったらポンコツだなと思ってください)
そしてあくまでもこの論文は「応援している人」というよりも「追っかけている人」を定義していますので、狭い意味の「ジャニヲタ」になります。さらにここに掲載されている【体験】の中にはグレーゾーンの行動も含まれています。

ちなみにこの【体験】はあまりにも参考文章が少ないために恩師であるゼミの教授が特例で体験を入れても良いとのことでした。本当にありがとうございました。。。そしてこの健人担とは全て私のことですので多分もうお嫁にはいけないと思います。笑

第二章 日本の男性アイドルの代名詞的存在ジャニーズとジャニヲタ

第一節:ジャニーズの歴史

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今思えばこの章こんなに量いる!?って感じなので飛ばしてください…

歴史は飛ばしたいという方は③の記事へどうぞ!

 日本の男性アイドルを代表するジャニーズ事務所は今年で創立51年を迎える。ジャニーズ事務所の創立のきっかけは現社長のジャニー喜多川(本名:喜多川廣)が都内にて野球チームを作ったことであるとされている。ジャニー喜多川はアメリカ合衆国の出身であり、在米時にアーニ―・パイル劇場      [i]でステージマネージャーのアルバイトをしていたと言われている。この劇場のアルバイト経験がジャニー喜多川の『Show Must Go On(ショーは続けなければならない)』という精神やジャニー喜多川独特のエンターテイメント性を確立したとされている。日本への帰国後、ジャニー喜多川は1950年代に野球チームを設立し、そのチーム同士の試合を『ジャニーズ・トーナメント』と名付けている。この野球チームの中から真家ひろみ、あおい輝彦、飯野おさみ、中谷良の4名を選抜し結成したグループが「ジャニーズ」である。この4人が「ジャニーズ」を結成する前にジャニー喜多川は映画『ウエスト・サイド・ストーリー』を鑑賞させたという話も残っており、ジャニー喜多川がアメリカのエンターテイメントから大きな影響を受けたことが分かる。また小菅宏も著書の中で、ジャニー喜多川が「『僕はスポーツに熱中するときの少年の笑顔を見るのが大好き』」と証言したと述べている。      [ii]ジャニー喜多川は野球などのスポーツをしている姿から「ジャニーズ」のメンバーを選びだした。スポーツにおけるチーム制を大切にするという彼のアイドルグループにおけるメンバーの選定方法は50年経った今も健在である。「ジャニーズ」が結成から正式デビューするまでは渡辺プロダクションに業務を委託していたとされ、その後の「ジャニーズ」デビューと共に正式にジャニーズ事務所が誕生するのである。

「ジャニーズ」の後には江木俊男、おりも政夫、青山孝、北公次による「フォーリーブス」がデビューを果たしている。フォーリーブスは「ジャニーズ」のバックダンサーを務めており、バックダンサーの中から次世代のアイドルを生み出す方式はこのころから存在している。ジャニーズ事務所ではこのバックダンサーを「ジャニーズJr.(ジュニア)」と呼んでいる。ジャニーズJr.はデビュー候補生として先輩のバックダンサー(「バック」と呼ぶ)を務めることによってその将来性をジャニー喜多川に見極められているのである。フォーリーブスのデビューの後も郷ひろみやドラマ『三年B組金八先生』から大ヒットした「たのきんトリオ」と呼ばれる田原俊彦・近藤真彦・野村義男がデビューをした。田原俊彦・近藤真彦はソロで華々しくデビューをし、また野村義男も「The Good-Bye」というジャニーズ事務所としては初のバンドグループでデビューを飾っている。郷ひろみや田原俊彦、近藤真彦は『日本レコード大賞』などで数々の賞を受賞し名曲をこの世に送り出したとされている。その後も「シブがき隊」や、現在も活動を続ける錦織一清、東山紀之、植草克秀からなる3人組の「少年隊」などもデビューを果たす。少年隊もたのきんトリオの「バック」として活躍してからのデビューであった。デビュー曲『仮面舞踏会』は未だに年末の「ジャニーズカウントダウンコンサート」と呼ばれるジャニーズ事務所のタレントが勢ぞろいするコンサートで歌われている。そして、少年隊の後の「光GENJI」のデビューは社会現象を巻き起こした。光GENJIは内海光司、大沢樹生、諸星和己、佐藤アツヒロ、山本淳一、赤坂晃、佐藤寛之7人で構成されている。彼らの前までにデビューしたグループの人数は多くて4~5人であり、ソロデビューも多かった。しかし光GENJIは当時最多の7人でデビューをし、ステージ上でローラースケートを履いて踊るという斬新なスタイルを打ち出したのである。当時の熱狂的な人気からテレビなどにも多数出演した。また未成年のメンバーが労働基準法に触れ、国会でも光GENJIの名前が出され審議されるということもあった。

【体験】当時を知る親類や私の「オタ友」でも先輩にあたる方の話によると、光GENJIは女子中高生に莫大な人気であり、クラスの女子の全員が光GENJIのファンであったと言っても過言ではないという証言が多数存在する。また芸人かつジャニヲタである松本美香も著書『ジャニヲタ 女のケモノ道』の中で「光GENJIという存在自体が社会現象だったでしょ!?」と自身の体験から述べている。      [iii]

【体験】私自身も光GENJIの活動休止前最後のテレビ出演は良く覚えている。テレビ朝日系列の『ミュージックステーション』の番組内のライブが最後の出演であった。大ビットした「ガラスの十代」「STAR LIGHT」「パラダイス銀河」などを熱唱し、最後に卒業を意味する「Graduation」を歌い、トレードマークであったローラースケートをステージ上中央に並べるのである。収録に参加しているジャニヲタの号泣する姿や最後の斬新な演出がとても印象に残っている。このようにジャニヲタは自分で見たアイドル達の姿の記憶が非常に重要になっている。自分が見たアイドルの姿からジャニヲタの歴史を作り上げるのである。自分自身が生まれる前の歴史は先輩のファンから伝承してもらい、そしてその歴史を自分が見ている歴史と重ね合わせて次の世代へ受け継いでいくのである。

上記で述べたように光GENJIは伝説のアイドルグループとジャニヲタに間でもかたられていたが、95年に解散をしてしまう。光GENJIの後にデビューした「男闘呼組(おとこぐみ)」や「忍者」も世の中がアイドルブームからバンドブームに変わり、ヒットが出せずに次々と解散してしまっている。このころまでのグループ(「少年隊」を除く)は5年活動出来れば良い方であり、アイドルの活動寿命の短さが目立っていた。その中でアイドル寿命の記録を塗り替え続けているグループがデビューをする。1991年にデビューを飾った中居正広、木村拓哉、草彅剛、稲垣吾郎、香取慎吾の5人組グループ「SMAP」である。      [iv]SMAPは今ではジャニーズ事務所の大御所と言われることも多いが、当時は売上が伸び悩みとても苦労したとされている。SMAPのデビューイベントは「西武ゆうえんち」のイベントコーナーで行われた。ジャニーズ事務所の中でこの規模の会場でデビューイベントを行ったのはSMAPしかいない。CD発売後に開いた名古屋レインボーホール      [v]でのコンサートも客の姿はまばらだったという話もある。SMAPが売れるようになった理由は歌って踊る従来のアイドルとしての仕事だけではなく、ドラマやバラエティ番組にも出演し、個々人の個性を磨いたからだとされている。小菅宏も著書『アイドル帝国ジャニーズ50年の光芒』の中で「これが決定的な分岐点になったのは歴史的転換、あるいはジャニーズアイドルの新しい幕開けだったと筆者は確信する」と述べている。      [vi]SMAPの成功からジャニーズアイドルは多様化し、解散をするグループも1つも無くなった。SMAPより以前にデビューした少年隊も各自、舞台やミュージカル、テレビドラマで活躍している。

その後も城島茂、山口達也、松岡昌宏、長瀬智也の「TOKIO」が1994年にデビューし、バンドグループとして活躍した。1995年にデビューした坂本昌行、長野博、井ノ原快彦、森田剛、三宅健、岡田准一による「V6」はダンスグループとしての定評がある。その後も堂本光一、堂本剛のデュオ「Kinki Kids」や、今となっては大人気グループの「嵐」がデビューを続けている。嵐は大野智、櫻井翔、相葉雅紀、二宮和也、松本潤の5人組グループである。現在はNHK放送の『紅白歌合戦』の司会や日本テレビ系列『24時間テレビ 愛は地球を救う』のメインパーソナリティを務めるなど、SMAPに続き国民的アイドルグループと呼ばれることもあるが、デビュー当時はCDの売れ行きが悪く、ジャニヲタの中から心配の声も上がっていた。さらに当時は「バック」を務めるジャニーズJr.に現在の「タッキー&翼」の滝沢秀明や今井翼が在籍しており、「バック」のという立場のジャニーズJr.でもドラマへの出演等、活動の場を広げていた。「タッキー&翼」がデビューした後は嵐もSMAPのように個人が各分野での活躍し、国民的アイドルに成長していった。特に慶応義塾大学出身の櫻井翔は日本テレビ系列の『NEWS ZERO』のキャスターを務めるなどアイドルの新たな可能性を作り出した。SMAPの存在により解散することのなかったジャニーズ事務所のアイドルグル―プ達だが、2000年代結成のグループからは脱退者が見受けられるようになった。  

2003年にデビューした「NEWS」は現在のメンバーは小山慶一郎、加藤シゲアキ      [vii]、増田貴久、手越祐也の4名であるが、デビュー当時は9人グループであった。テレビ局アナウンサーとの飲酒事件など含む不祥事で草野博紀、森内貴寛、内博貴の3名が脱退した。(うち内博貴のみ謹慎処分後、ジャニーズJr.の下に位置する研修生として復活し、現在はソロ活動を行っている。)3名も不祥事でメンバーが脱退したことを受け、2006年に活動休止をした後の2007年に旧メンバーの山下智久と錦戸亮を含む6人で活動を再開した。しかし、2011年に突然の山下智久のソロ活動、錦戸亮のNEWSからの脱退が報告された。錦戸は「関ジャニ∞(エイト)」のメンバーを兼務していたので関ジャニ∞の活動に専念した。関ジャニ∞は2004年にデビューし、当時は旧NEWSの内博貴、錦戸亮が兼務という形で活動を行っていた。内博貴が不祥事でNEWSと関ジャニ∞を脱退してからは、渋谷すばる、村上信五、横山裕、丸山隆平、安田章太、大倉忠義、錦戸亮の7名で活動を続けている。彼らは関西の独特の雰囲気を売りにして人気が上がり、その勢いは嵐と肩を並べるくらいである。  

その後2006年にデビューした亀梨和也、赤西仁、田中聖、田口淳之介、上田竜也、中丸雄一の「KAT-TUN」も赤西仁が海外留学等の理由から活動休止後、脱退をした。最近では田中聖が事務所から解雇されている。KAT-TUNの後にデビューした「Hey!Say!JUMP」は山田涼介、中島裕翔、知念侑李、岡本圭人(男闘呼組のメンバーの岡本健一の息子)、森本龍太郎、薮宏太、八乙女光、高木雄也、伊野尾慧、有岡大貴の10人からなる大規模グループであった。しかし、最年少の森本龍太郎が2011年に不祥事により現在も活動休止となっている。2000年代にデビューしたグループはどのグループもオリコンヒットチャートで1位を取る実力はあるものの、脱退者が多数いるイメージが強く、嵐以前のグループのようにグループ色もまだはっきりしていない。これからどのような色を出していくか非常に大切になってくるだろう。

2010年代になってデビューしたグループは「Kis-My-Ft2」「Sexy Zone」「A.B.C-Z」の3グループである。「Kis-My-Ft2」と「A.B.C-Z」はジャニーズJr.内のユニットがそのままデビューするという形になった。      [viii]Jr.時代からのファンがいる強みからバラエティでの活躍もめまぐるしく、特にKis-My-Ft2の露出度は高い。一方「Sexy Zone」は10代のメンバーが多くフレッシュさを売りにしていると言える。先日NHK放送の『紅白歌合戦』への出場が決まり、これからの活躍に期待が出来る。しかし、少年隊からSexy Zoneまで、現在ジャニーズ事務所で活躍するグループは約14にものぼり、事務所内だけでも売上やグループとしての争いが繰り広げられるようになってきた。新人のこの3グループも先輩達と肩を並べて売り出しで行く必要があり、更なる個性の表現やグループイメージの確立が課題となってくるだろう。

そしてジャニー喜多川は2020年の東京オリンピックに向け「2020(トゥエンティトゥエンティ)」の結成を昨年の秋に発表した。現在のジャニーズJr.から20名デビューが決まり、未来のスターが生まれるのである。こうしてジャニーズ事務所の歴史は作り続けられるのである。

脚注

      [i]米国のアーニーパイル劇場である。

      [ii]「アイドル帝国ジャニーズ50年の光芒」著:小菅宏 宝島社 2012年6月 P.19

      [iii]「ジャニヲタ 女のケモノ道」著:松本美香 双葉社 2012年5月P.250

      [iv]デビュー時は森且行を含む6人組グループであった。森は1996年に脱退をしている。

      [v]現在は日本ガイシホールに名称を変更している。

      [vi]アイドル帝国ジャニーズ50年の光芒」著:小菅宏 宝島社 2012年6月 P.172

      [vii]2011年に本名の加藤成亮から加藤シゲアキに改名した。

      [viii]2006年デビューのKAT-TUNもジャニーズJr.内のユニットからのデビューである。

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