遅くなってしまいましたが、平成最後のジャニヲタ反省記、最終回となります。批判覚悟で全部吐き出します。
- 過去の記事はこちら
- 担当に依存することが怖かった
- オタクとしての夢を叶えてくれた健人くん。
- 忘れられない思い出でもある
- 結局、認知されたのか
- ただの自己満足かもしれない
- 卒論をジャニヲタで書いた
- 2015年のソロコンとジャニワで心の整理できた
- 自担の夢の世界を大切に
- 中島健人くんへ
過去の記事はこちら
担当に依存することが怖かった
Johnny's World(2012)も終わり、自分の応援スタイルを考えるようになりました。どの現場でもこのまま健人くんに依存していったらどうなるんだろうという恐怖が常にありました。東方神起のチャンミンがインタビューで言ってた言葉が心の奥でトゲのように刺さっていました。
「ファンの方には 僕を絶対的な存在ではなく たまに目にする僕の活動を栄養剤のように感じてもらえたら一番嬉しい。」
ファンもチャンミンに依存しないし、チャンミンもファンに依存しない。チャンミンってずーっとこんなこと言ってる方です。それを考えたら本当に私は駄目なファンだと思っていました。チャンミンにも健人くんにも超依存していました。
私は当時の応援の仕方でいいのかなって自問自答していました。だからどこかで担当に依存しない形にしたい。区切りをつけなければいけないとも思っていました。
オタクとしての夢を叶えてくれた健人くん。
大学の実習が全て終わった2013年の5月13日から、健人くんに会いに行くことを辞めて現場の数を減らしました。それまでに健人くんは私のオタクとしての夢を全て叶えてくれました。
- デビュー前から応援すること
- 結成時のコンサートから通うこと
- ファンサをもらうこと
- 握手してもらうこと
- ハイタッチしてもらうこと
- 話しかけてもらえること
- ファンレターの返信をもらうこと
- カンペを読んでもらうこと
- 紅白に出場する姿をみること
- 座長公演を観劇すること
私は恵まれている健人担でした。健人くんがくれたものを受け取ってそのまま真っ直ぐに応援すれば良いだけだったんです。でも、それじゃ当時の私は駄目だったんですね。健人くんはファンサだけではなくてたくさんの思い出を作ってくれました。
あの時は口では感謝しなきゃって言ってたけど、ファンサを当たり前みたいに思っていました。健人担としてのステータスとしか思っていなかったんです。バカみたいだけど、命掛けて健人担をしていました。「健人担ガッツ」っていう意味のわからない意地のために必死に毎日現場に通ってました。
健人くんが好きなことよりも健人担でいる意地のほうが大きくなっちゃって。(一般人からしたらバカみたいって思うでしょ。)周りもガチで追っかけをしている人しかいなくなって。コンサートも意地だけで通って。前が見えなくなりました。
オタクじゃない人の前で普通な大人を演じてる時に、「自分は何やってるんだろう?」って悲しくなりました。こんなことして楽しいか?って本気で思いました。何しに関東まで大学のために出してもらってんだ?ここまで考えました。同時に健人くんに申し訳ない思い出でいっぱいになりました。
忘れられない思い出でもある
思い出したらその当時はオタク活動で泣くときは「自分は他のファンより劣ってる」と思って悔しくて泣いていました。本当は優劣なんて無いのに。オタク活動以外にも辛いことがあったから健人くんに現実逃避したことも事実です。でも健人担として過ごした毎日はわたしにとってはかけがえのない日々です。依存してたと思います。でも大好きで応援したいって思っていたことに変わりはありません。
結局、認知されたのか
答えは本人しか分からないと思います。今はもう忘れてしまっているかもしれません。私はお手紙を書く時に必ず「健人くんの”マジで”が大好きです」とずっと書いていました。
(当時の健人くんの口ぐせです。)
ウチワにも書いてずっと持っていました。
君にHITOMEBOREのセリフ
ずっと言い続けてきた中、君にHITOMEBOREという健人くんがセンターの曲で、健人くんのセリフに「好きなんだよ、マジで」というセリフが曲中に入りました。当時、友達からも連絡が来ました。私が言い続けてたからかは分かりませんが、すごく嬉しかったです。
ただの自己満足かもしれない
結局はオタクの自己満足だと思います。自己満足以外のものはなにも残らなかった。と、私は今でも思います。何のために多ステするのか、何のために応援するのか意味を見失ってしまっていました。全て自分の健人担としてのステータスのためだけになっていました。そして所詮、趣味にすぎないです。でも繰り返しますが、今は健人くんを必死に応援していた日々は決して無駄じゃないと思ってます。
まじ私の人生金太郎飴のようにどこを切っても全部お!た!く!卒論という名の反省文を書いて自分とサヨナラするつもりでした。
卒論をジャニヲタで書いた
書き出しは「私はジャニヲタである。」
夏目漱石大先生に土下座しろ。レベルです。でも大真面目に「何故、ジャニヲタは消費をするのか」ということを際どいところまで実体験を交えながら客観的に書きました。※タイトルは一部伏せさせていただきます。ごめんなさい。
客観的に書くことによってLIVEそのものを楽しみたいという気持ちになれました。健人くんを応援することも少し冷静に考えられるようになりました。それからしばらくSexy ZoneのLIVEに足を運んでいましたが、楽しかったのを覚えています。
2015年のソロコンとジャニワで心の整理できた
健人くん初めてのソロコンサート
久しぶりに多ステした公演でした。あのころ悩んでいた私はどこに行ったんだろう。それくらい楽しくて幸せな公演でした。まさか、この公演も自名義で最前でした。でもファンサなんてなくてもあっても健人くんがソロコンサートをしていることだけですごく楽しかったです。オーラスで健人くんが涙を流したことは今でもよく覚えています。ずっと応援していて良かったなぁと思って私もたくさんたくさん泣きました。Jr.のバックで代役でフライングしたあの時からたくさんの幸せがあったなと思えました。
念願の座長になったJohnny's World
その年の冬に大好きなJohnny's Worldで健人くんと勝利くんが座長になりました。Hey!Say!JUMPが座長だった時は白い衣装で脇で踊っていた2人。この公演でらキラキラの衣装を着て真ん中でLet's Go To Earthを踊っていました。私が探し続けていた世界はやっぱり冬の帝国劇場にありました。光り輝く大好きな世界です。私はLet's Go To Earthを踊る、Johnny's Worldに出演する健人くんが大好きでした。この公演を観た時に私は自分で区切りをつけようと思ったんです。
自担の夢の世界を大切に
今は代替わりした新しい世界が帝劇にあると思います。滝沢くんが社長になり、ジャニーズは私が卒論を書いた時より更に早く急激に変化していくと思います。私の夢の世界、13月のユートピアは健人くんがLet's Go To Earthを踊る世界です。
その思い出を大切なままにしようと一旦、ジャニーズから離れました。結局は懲りずに緩々とジャニーズが好きですが、今いちばん応援したい人が野球選手にいます。後悔しないように応援しようと思えるのはいままでの自分がいたからです。
どんなジャンルでも永遠なんてありません。
応援したいと思う人と同じ時代に生きれる幸せを大切にしながら今日も推し事をします。平成が終わってもきっとジャニヲタだし、オタクです。もしオタクをしていて悩んでいることがあったら少しでも、この経験を活かして力になりたいと思っています。
中島健人くんへ
エゴサをしていると聞いていますので、何かのきっかけでもし見てくれたら。私のいちばん人生で楽しかった時代は常に健人くんがいました。好きな人より握手会を優先して振られましたけど、その好きな人は今、コンサートに行くくらいSexy Zoneが好きです。笑 絶対これは5人の魅力あってだと思います。もう忘れているかもしれませんが、たくさんお手紙を渡したことは本当に大切な思い出です。感謝してもしきれません。ありがとうございました。新しい時代もSexy旋風を巻き起こしてください。実は密かにお茶の間で応援しています。これからのご活躍も楽しみにしています!